自己紹介
こんにちは。藤本政信(Masa)です。
ここでは私がどんな人間で、なぜこのブログを書いているのかを書いています。
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1975年生まれ
山口県出身
大阪府在住
趣味:野球、旅行、バイク、家系図
学歴:トロント大学経営大学院(MBA)
家族:妻、娘
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2007年6月27日、私は妻と娘を連れて10時間以上のフライトの上、
カナダのトロントの地に降り立ちました。
目的はトロント大学へのMBA留学。
滞在予定は2年間。
このときは、その2年間がその後の人生において
どのような意味をもたらすかは、もちろん知る由もありませんでした。
そして、7年後の2014年、私は日本で留学コンサルタントとしてカナダ留学を志す人たちを支援するようになりました。
なぜ留学したのか、
留学が私にとってどういうものだったのか、
留学後どのような経緯を経て今に至るのか、
少し長いですが、良ければ見てください。
英語と海外を避けていた20代
元々私には海外志向というものはありませんでした。
そもそも英語が本当に苦手。
(今でもその苦手意識は消えませんが・・)
大学受験では足を引っ張る科目でした。
大学入学後も英語の授業はありましたが、受験勉強の貯金で、何とかごまかしました。
その英語の授業も2年で終わると、そこから就職後も含めて、一切英語に触れることのない20代を過ごしました。
避けていれば困ることはなかったのです。
そんな私にも転機が訪れました。
当時経営コンサルティングの仕事をしていた私は、経営知識をしっかりと学ぶためにMBAに行きたいと思っていました。
このとき考えていたのは当たり前のように国内のMBAでした。
ハナから外国に行くことなど思いつきもしなかったのです。
この考えを変えたのは、今の妻との出会いでした。
初めて英語と真剣に向き合う、そして苦悩
彼女は日本の大学を卒業後、イギリスの大学院に留学した経験を持っていました。
彼女の話は次第に私の興味を海外に向かわせました。
特に
「海外の大学は日本の大学と違って、本当に色んな国の人たちが学びに来ている。
特に貧しい国からはその国の命運を背負ったエリートが国費で学びに来ている。
彼らは学びに対する真剣度、目の色が違う。」
という話は私の心を一気に海外に駆り立てました。
英語の苦手意識はどこへやら、気持ちだけ先行して、海外MBAを目指すという大きな目標を立ててしまったのです。
しかし、簡単に海外のMBAに行けるかというとそんなことはありません。
まず何と言っても海外の大学から入学を許可してもらうための英語力を示さなければなりません。
それにはTOEFLのスコアが必要だったのですが、それまで英語を避けてきた私にとってはこれは本当に高い壁でした。
一般的に海外MBAの場合、TOEFLのスコアは100点(当時はCBTで250点)が必要と言われます。
これに対して2005年1月に最初に受けたTOEFLは47点(CBTで137点)。
笑ってしまうくらいのスコアですが、私の海外へのチャレンジはここからでした。
その後、実に21回ものTOEFLを受験しました。
当時は月に1回の受験しかありませんでしたから21か月毎月TOEFLを受け続けたわけですね。
今にして思えば英語を避けて通っていた20代のツケを払わされた格好ですが、当時としては、本当に毎月毎月試験結果を見てはがっかりを繰り返す、とても辛い日々でした。
外を歩いていてもTOILETという文字がTOEFLに見えるんです(笑)
それまで持っていた「努力すればいつかは結果が出る」という信念が揺らぐ毎日でした。
しかし、そんな日々もついに報われる日がやってきます。
情報の大切さ、選択、そして大学合格
TOEFLを始めて1年半、ついにMBA入学最低ラインと言われる100点(CBTで250点)を超えるスコアが出ます。
これには、多くの先輩から情報を得たことやプロの方から指導を仰いだこと、それに自分自身で、苦手な分野を克服するというよりは伸ばす余地がある分野を伸ばせばよいという気持ちの入れ替えが出来たことが突破口になりました。
留学準備というのは悩むことが多い長いプロセスですが、適切な情報や指導を得ることの大事さと、気持ちや発想を切り替えることの大切さを学びました。
このTOEFLのスコアにエッセイ、その他書類の準備を進めて、最終的にカナダのトロント大学ビジネススクールから合格通知を得ることができました。
(このTOEFL後のプロセスについてはMBA予備校である青山TGセミナーにお世話になりました。
青山TGセミナーのファウンダーである伊藤伸哉さんとは現在もパートナーとしてお世話になっています。)
なぜカナダか?という疑問があるかもしれません。
きっかけとしては、私のTOEFLのスコアバランスではアメリカのトップ校は難しいことが分かったからです。
アメリカでランクを落として考えるか、別の国のトップ校を目指すかの選択でしたが、私は後者を選びました。
当時はMBAと言えばアメリカが圧倒的人気でしたが、別の国の方が希少価値があるかもしれない、という考えもありました。
そしてアメリカ以外の選択肢を探して行った結果、浮上したのがカナダだったというわけです。
ただカナダの情報は多くはなく、ここでも卒業生の情報などが志望校選定や学校に合った対応を行うのに非常に大きな助けとなりました。
それまで訪れたこともなく何のイメージもない国でしたが、結果としてカナダを選んだのは良い選択だったと思っています。
グローバルとカナダのライフスタイルに触れた2年間
会社を休職してカナダに渡航したのは2007年、32歳のときです。
カナダの生活はそれまでの人生にはないほどの刺激に満ちた日々でした。
私の中で大きく2つの体験がありました。
1つはグローバルという体験です。
カナダは移民国家です。
アメリカは移民で有名ですが、カナダの大都市は移民の比率はアメリカ以上かもしれません。
中国、インド、フィリピンなどのアジア系はもちろん、ギリシャ、イタリア、イランなどの国からも多くの人が移民し、しかもそれら移民が独自の文化をある程度保ちながら共生している様子は、さながら地球の縮図のようなものでした。
そしてその国際社会の中で日本のポジションを相対的に知ることも出来ました。
学校の授業はインタラクティブかつスピーディで、とても厳しいものでしたが、折に触れて各国から学びに来た生徒達の発言や考え方に驚かされることも多々ありました。
グローバルでビジネスをやっていくには、このような価値観や常識が全く異なる人を相手にすることなのだということを実感として得られたこと、そして国際社会の中で日本人としてどう振る舞うべきかを知ることができたのは大きかったです。
そして、2つ目の大きな体験は、カナダのライフスタイルに触れたことでした。
カナダの人たちは、それぞれに良いライフスタイルを持っています。
仕事は仕事としてあるけど、人生それだけじゃなく、きちんとそれぞれの楽しみを持っていて人生を謳歌しているのです。
仕事を終えた後に夕暮れの中でゴルフを楽しむ人
家で仕事をやりながら夕方からは自分で主催するコミュニティメンバーと食事を楽しむ人
趣味の手芸を活かして小さいながらビジネスをしている人
就職して以来、ほとんど仕事以外に時間とか楽しみとかを考えていなかった私は、ある種のカルチャーショックを受けたのでした。
帰国、そして3.11
2009年、色々な苦労と学びを経験しながら、MBAの課程は何とか修了します。
卒業後は、もうカナダは十分満喫したと、日本に戻りました。
そして再び会社員として働き始めました。
日本語で余すことなく自分の意思を伝えられるし、こちらが言わなくてもある程度の常識を共有できる、帰国して感じたのは、日本はとても楽しく仕事ができるところだということでした。
しかし、一度カナダ留学したからこそ感じる何かの違和感も同時に感じるようになっていました。
- 日本の社会がルールを厳密に考えすぎて、本来成長する社会には必要なはずの新しい自由な発想が損なわれているのではないか
- 仕事の拘束時間が長く、人生を謳歌しようという雰囲気が少ないのではないか
- 本来イノベーションの牽引者となるべき20代、30代、40代が疲れ切っていて元気のない人が多いのではないか
一言で言えば「多様な生き方とか考え方が認められにくい」ということです。
思えばカナダという国は「多様性」を国家の基本的な価値観として認めている国だったのです。
カナダにいる間も学びでしたが、日本に帰ってからもまたカナダについて学ばされるところは多くありました。
そんな中で2011年3月11日、東日本大震災が発生。
震災・津波の被害に加えて、原発問題、物流網の遮断によるモノ不足、風評被害、さらには南海トラフ地震や富士山噴火などの不安も煽り立てられ、日本を一気に閉塞感が覆いました。
私はあの地震が日本の大きな転換点になったように思います。
多くの人の価値観が変化したのではないかと思います。
そして、この大きな変化の時代に、世界で生き残るためには、多様な考え方や強みを持った人材がそれぞれに自立して生活を営んでいくということが必要なのではと思います。
進化論で有名なダーウィンは
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』
という言葉を残しています。
変化できるというのは、多様な考え方、多様な生き方の選択肢を知っていて、それが選択できるということです。
そのような人だけが、今後変化に対して生き残れるということです。
留学コンサルタントとして
私は留学コンサルタントとして独立することを決めました。
思えばこうして起業するという行動を起こせたのも留学したからです。
カナダではスモールビジネスがかなり多くを占めることもあり、ごく普通の人が、「え、そんなものが商売になるの?」という簡単な内容でどんどん起業しています。
私の中で、起業は限られた人だけができるもの、という勝手に作られていたストッパーが1つ外れたような感じでした。
留学コンサルタントとしての原点となる思いは以下の通りです。
- 多くの人に、自立し活躍してもらうために、可能性のある多様な選択肢の中から、最適な生き方を選んでほしい。
- そのためのきっかけとして多くの人に留学をしてもらい、多様な視点に触れ、視野が広がったり、考え方が変わるという経験をしてほしい。
- 私自身、多くの人に支えられて留学を実現できましたが、今思えばこうすればもっと効率よくできたと思うところも多くあります。その情報や体験を伝えることで、これから留学を志す人に留学を効率よく実現してほしい。
以上のような思いを込めて、このブログのタイトルは
「カナダ留学から始まるグローバル&クオリティライフへの道」
としました。
クオリティライフは耳慣れないワードかもしれませんが、Qualityには「上質な」という意味があり、上質な生活を目指すという意味で使っています。
是非、留学を実現し、豊かな人生を切り開きましょう。
このブログが一人でも多くの人の助けとなれば幸いです。
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人生の選択肢を広げるには 2013.05.26