感動は困難の先にある ~私の留学困難体験~
こんにちは。
留学コンサルタントの藤本政信です!
先日、内藤勲さんのネット勉強会に参加しました。
内藤さんは「田舎でネットライフ」というライフスタイルを提案されていらっしゃる方で、先日お会いして以来、色々感化されてます。
今回の勉強会のテーマはオリンピック。
なぜ浅田真央選手に感動するのか?
というテーマです。
正解があるわけではないので、解釈は人それぞれだと思いますが、この勉強会で出ていたキーワードとしては
- 私たちが彼女をよく知っている(オリンピックの中でも特によく取り上げられている=ある意味で不平等)
- 人間らしさが見える(メディアのフィルターを通して、競技以外の顔や彼女の物語が見える)
ということでした。
例えば、オリンピックに出た日本人選手は100名以上いたのに、私たちが知っている選手はごく一部。
その中でも特に昔からメディアで取り上げられていた真央ちゃんだからこそ感動した。
そして、小さい頃からの歴史やお母さんが亡くなったことなどを知っていて、そこに人間臭さとか、共通点を見いだせるから感動した、ということですね。
私はもう一点、「困難をあきらめなかった」というストーリーが大きかったのではないかと思います。
(これもメディアのフィルターの一部かもしれませんが。。)
今回で言えば、ショートプログラム後の浅田選手の呆然としたインタビューの様子を私達は見ています。
だからこそ、その後、あきらめずに持ち直した姿に感動した、ということが言えると思います。
また、失敗が続いていたトリプルアクセルをあきらめずに成功させたという要素もありましたよね。
今回のオリンピックでも私達が感動したのは何かしら物語がある人が多いです。
羽生選手には、震災という困難に合っても競技をあきらめなかったという物語があるし、レジェンド葛西選手には、長野オリンピックで表彰台に上がれなかったのにあきらめなかったという物語がありました。
その長野オリンピックで感動を与えてくれた原田選手には、その前のリレハンメルでの失敗ジャンプで非難を浴びたという困難があったわけです。
で、こんな話をしたのもこのブログのテーマである海外留学に関連するのですが、最近私は、留学とは「困難と感動の体験」だなあと思っています。
留学での「感動」の物語は色んなところで紹介されていますが、「感動」の前には実は「困難」があるから、より「感動」が大きくなるみたいな。
「困難」にあきらめないからこそ「感動」を味わえるみたいな。
そして「困難」を乗り越えることで成長もできる。
そんな経験をたくさん出来るのが、留学の本当の醍醐味だなと思っています。
で、このブログでは留学の困難の部分ってこれまであまり具体的にシェアできていなかったので、少し書いてみたいなあと思ったわけです。
何を書こうかなと思ったときに、私の経験で最初に思い出したシーンがあったので、今回はこれを書いてみようかなと。
ちょっと長くなってしまいましたが、良ければお読みください。
私が留学していたMBA課程の1年目の終わりに、履修していた「経営戦略」というクラスで最終プロジェクトがありました。
これは、同級生がランダムにチーム分けされて、与えられたケース(ある企業について書かれた15ページ程度の読み物)を読んで、この企業に向けた提案をチームでプレゼンするというプロジェクトでした。
確か、チーム分けの発表はプロジェクト開始の前日、そして翌朝にチームで集まったところでケースが配られ、さらにその翌朝にチームでプレゼン、というスケジュールだったと思います。
このチーム分けは学校側が勝手に分けるのですが、結構重要です。
というのも、一言にMBAの学生といっても、その中身は様々。
チームで協力的にやりましょう、という人もいれば、出来ない奴は放っておいて出来るやつだけでいい成績を取ろうぜ、という人もいます。
英語が苦手な人に理解を示す人もいれば、カナダにいるのに何で英語出来ないやつがここにいるの?って人もいます。
当時は留学して1年近く、授業で教授が話す英語には何とかついていけるようになっていた私ですが、複数人が早口で一斉に発言するグループディスカッションというのはまた別次元です。
当然、私はディスカッションについていけないことが予想されたわけです。
そこでできれば、普段仲良くしていて気心が分かっている人や、ノンネイティブが同じメンバーに入っていることを祈りつつ、チーム分けの発表を待っていました。
しかし、残念ながらそのときの私のチームは、私が知っている人は一人もいない、そして私の他は全員ネイティブというチームでした。
まあ、それは仕方ないので、気持ちを切り替えてミーティングに臨みました。
朝、メンバーが集まったところでケースが配られます。
それを一斉にメンバーが読んでいきます。
15ページのケース。私は全速力で読んでも2時間以上かかる量です。
でも1時間後には、メンバーはケースを読み終えて、それぞれ自分のノートにポイントを整理して、ディスカッションの準備をしています。
私は半分も読めてない。
そんな状況で「さあ、そろそろ始めようか」とディスカッションはスタートしました。
読み終えていないケースのディスカッションですから、もちろん発言なんか出来ません。
今の私なら、「ごめん!まだ読めてないから、読み終わってからディスカッションに参加するよ!」と言えるのですが、当時は完全にその空気に飲まれて、何も言えず黙っているしかありませんでした。
ディスカッションは、アメリカのマッキンゼーで働いていたという頭のキレまくるユーサフとカナダのデロイトコンサルティングで働いていたというこれまた超優秀なマットの2人を中心にどんどん進んでいきます。
結局、私は午前中は一言も発せず終わったと思います。
この一言も発せないミーティングというのは、本当に辛いんです。
頭は使ってなくても、何も貢献できていない=存在が認められてない感がビシビシと感じられて、ただただ孤独感を味わいます。
しかし、ぼーっとしてはいられません。
昼食休憩中、何とかケースを読み終えて、やらなければならないことがようやく把握できました。
午後は翌日のプレゼンに向けてチームで手分けをしてプレゼン資料を作っていきます。
私もとりあえず分担をもらったのですが、午前中のディスカッションが全くついていけてなかったので、自信がありません。
そこで、となりに座っていたメンバーに一緒に作業しようと持ちかけて、一緒に作業することにしました。
複数人のディスカッションは苦手でも、1対1なら相手も手加減してくれて話は出来ます。
色々確認しながら話をしていくと、何となく自分が作るべき資料が分かってきました。
プレゼン資料を作るのだけは元々日本でも仕事でもやっていたので得意なんです。
早々に資料を作り上げてチームメンバーにメールすると、その日初めてチームに貢献できた気がしました。
再度チームで合流して、つなぎあわせたプレゼン資料を確認します。
ここでは一言、二言は発言できました。
ようやく、孤独感からの脱出です。
次に翌日のプレゼンテーションの分担分け。
チームでプレゼンをするときには比較的責任が軽くて楽なパートと難しいパートがあります。
一番責任が軽くて楽なパートがトップバッター。
トップバッターの役割は、プレゼンの趣旨説明とケースから導かれる事実の整理。
そして一番難しいのが、最後にプレゼン相手からの質問を受け付けて答えるパート。
ここは何としてもトップバッターを勝ち取らねばなりません。
苦手な英語でチームに迷惑をかけないためにも。
そして、チームにそう主張し、無事にトップバッターのポジションを取りました。
その後夜まで、各自でプレゼン内容を準備して一旦チームは解散しました。
家に着くと、一日の疲れがどっと出て頭も働かない状態でしたが、チームに迷惑をかけられない一心で、夜中まで自分のパートのプレゼンの練習を行いました。
そして2-3時間ほど仮眠を取ると朝でした。
寝不足でシャキっとしない頭で学校に向かいます。
そしてチーム全員スーツでビシっと固めて、プレゼンの場に臨みました。
プレゼン相手は、現地で会社経営をやっている50代の経営者たち。
私はトップバッターとして、前夜練習したプレゼンを無事に終えました。
ここで私の役割は終わったはずでした。
プレゼンは最終走者まで続き、ヤマ場のQ&Aもここまで終始チームを引っ張ったユーサフとマットが綺麗に収めました。
よし、終わったーと思った瞬間でした。
経営者の一人が、私を指名して質問したのです。
「Masa、この会社はマーケティングの観点ではどういう課題があるんだ?」
予想もしてなかった質問でした。
私はとっさに答えることが出来ませんでした。
前日からの疲れで頭が働いていなかったのかもしれません。
日本語だったら
「売れてないということは顧客のターゲティング設定に問題があります。」
くらいは出ていたと思います。
最低でも
「今回は別の分野の優先度が高いと判断しましたので、マーケティングについての詳細検討は保留しています。」
くらいは言うべきでした。
最悪の最悪で
「わかりません。」
と言っても良かったかもしれません。
でも、それすら口に出せず固まってしまいました。
しばしの沈黙。
質問者はあきらめて、
「誰か答えられるか?」
と矛先を変えました。
すかさずユーサフがスラスラと回答しました。
そしてプレゼン終了。
部屋を出てから、私はチーム全員にすぐに謝りました。
「大丈夫だよ。ユーサフがカバーしたから。みんな頑張ったじゃん。」
マットが明るく答えてくれました。
マット、いいヤツだな~(涙)
私は肉体疲労と精神疲労のピークを感じながら家路につきました。
数週間後、そのチームプロジェクトの成績が発表されました。
結果はB。
チームプロジェクトの場合は、多くがA-以上の成績がつく中でこれは「悪い評価」に近い結果です。
プレゼンの評価も書かれてあり、マイナス面として「質問に答えられなかった」と明記してありました。
明らかに私の失態です。
成績A常連と思われる優秀なメンバーが集まりながら、私の失態でこんな評価に沈んだわけです。
その成績を見たときに私はすぐにメンバーに謝罪のメールを打とうかと思いました。
が、迷った挙句やめました。
謝罪したところで責任が取れるわけではないと思ったからです。
今でも謝罪のメールを打つべきだったかどうかは分かりません。
そして、今となってはただただホロ苦い思い出です。
いかがでしたでしょうか?
これが私が経験した留学時の「困難」の1つの例です。
思い返してみると、留学経験には、こんなホロ苦経験が山のようにあります。
そして、当時の私に今の私が声をかけるとするとこんな感じです。
「そうかそうか。やっちまったなー。まあ、たかが1つの授業の1つのプロジェクトの成績だろ?気にすることはないよ。そして1か月後にはみんな忘れてるよ。そして、そんな経験がお前を強くするんだよ。いいことだよ、そんな経験が出来るって。」
まあ時間が経ったからか、年を取ったからか、単に図太くなっただけなのか。
でも、本当にこんな経験がたくさんあったから、人の困難も分かるし、感動も味わえたし、そして少し成長もできたんだと思います。
留学の実態とか、その中にある困難と感動を感じてもらうために、今後もときどき私の困難経験と感動経験をシェアしていきたいなあと思っています。
最後までありがとうございました。
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