グローバル化とローカル化

グローバル化とローカル化

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こんにちは。藤本です。

先日、あるカナダ人と話をする機会があったのですが、私がカナダに住んだことがあることを知ると

「どこに住んでたの?」

と聞かれました。そこで、トロントに住んでいたことを言ったら

「えー、バンクーバーの方がいいのにー」

と言われました。

これ、ホントよく聞くカナダあるあるです。

トロントにいたときも、トロントとバンクーバーのどっちが良いかって話はしょっちゅう出ていて、そしてバンクーバーの方が良いって言って譲らないバンクーバー出身者はホントたくさんいました。

 

日本でも東京に住んでいながら、絶対に関西が良いという関西出身者いますね。

他の地方出身者は東京に住むとどんどん標準語に変わっていく中、意地でも関西弁を使い続けるという(笑)

いやバカにしているわけじゃないですよ(笑)

地元愛が強いんだなーと。

でもバンクーバーの話と何だか似ていますよね。

 

こういう地元愛を持つっていうのは人間の心理だと思うんです。

グローバル化と言いますが、グローバルな世界に出ていくと、人はその新しい世界とそれまで自分がいた世界との比較をします。

これは当然ですね。

そしてある人は新しい世界の方式に溶け込んでいき、そして別の人は、ますます以前にいた世界へのこだわりを強めます。

厳密に言うと、これは人によって分かれるわけではなくて、一人の人間の中で、この2つが同居しているんだと思うんです。

ある面では新しいスタイルに変われるけど、ある面ではそれまで以上に過去のスタイルにこだわる、という感じです。

これは自然なことだと思います。

ただ人によって、どの面で新しいことを受け入れて、どの面でこだわりを続けるか、という選択とバランスが違うだけで。

 

私の例で言うと、海外に住んだことで、日本人というアイデンティティや日本という国についてのこだわりは留学以前より強くなりました。

一方で、働き方や生活スタイルなどについては、それまでの「こうしなければならない」という固定観念がなくなってずっと幅広く考えられるようになりました。

 

だからときどき「グローバル化すればするほど、ローカル化が進む」と言われることがありますが、その感覚はとても良く分かります。

グローバル化が進めば進むほど、他国と比較すること、他国を意識することが多くなるんです。

人や情報の行き来は激しくなっても、そして他の国や他の文化に触れることが多くなっても、その分、ローカルとグローバルの違いを意識する機会は増えていきます。

そして人の心の何割かがグローバルを選ぶ一方、何割かがローカルをより強力に選択するようになります。

これがローカル化ですね。

 

私はこのこと自体はとても良いことだと思っています。

むしろ2つの違いを知らず、何も考えずに一方に追従する方が危険だろうと思います。

違いが意識出来れば、それが選択肢になり、そして選ぶことが出来るようになります。

だから、私はグローバル化の恩恵は、「グローバルとローカルの良いところが選択できるようになること」だと思います。

 

グローバルの流れに乗らないといけないと変に焦ったり、力んだりする必要はないですよ。

2つを比較して、気に入ったところだけ良いとこ取りしたらいいんです。

今日本では「グローバル」という言葉が本当によく使われていて(そういえば私のブログタイトルにも使ってましたね)、それが何だか絶対的なもののように使われているケースもあるので、訳の分からない恐怖や過剰な期待を持っている人もいるかもしれません。

でもいかがですか?

良いとこ取りしたらいい、そんな風にグローバル化を捉えてみるともう少し自然体で構えられませんか?

 

最後までありがとうございました。